なるほどボクシングは音のスポーツだ。
リズムが問われ、タイミングで勝負が決まる。動体視力の猛者が集うスポーツであることを考えれば、耳が聞こえないことのメリットは、ほとんどないだろう。
ならば何故ケイコはボクシングに?原作を読んでみたい所だが、音への渇望がケイコをボクシングに向かわせたのだろうか?
相手を打った拳や、相手に打たれた頭には音鳴らぬ音がきっと存在しているだろう。
ケイコが考え事をする河原には鉄道橋がかかり、電車の往来が忙しい。そこには音を感じさせる景色がある。心の中のザワザワを掻き消す景色というものが、あるのだろうか。
ケイコの感じたことが記されたノート。声を滅多に発しないケイコが、とても複雑かつ、愛らしい発想をしていたことに驚く。話した所で人は一人なのか?話すことで救われるのか?ケイコが話さないから、理解されなかった面はきっとある。でもわかってくれる人がたくさんいたね。
ザワザワして、心温まる、素晴らしい作品でした。