最新映画見てきました!

最新映画を中心に感想を書いていきます。評価は★の数で!自分が満足しそうな映画を中心に見て、その中での相対的な評価ですので、基本的に★★★以上はおススメです!

淵に立つ 評価 レビュー 感想 ★★

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見ているのが、しんどかった。怖かった。

暗澹たる気持ちで、

まだ続くのか…と思いながら見ていた。

人の劣情を、容赦なく炙り出すこの映画は、

見ていて、常に息苦しく、目を背けたくなる。

最初はなんとなく今村昌平監督の『うなぎ』を

思い出しながら見ていたが、全くの別物だった。

『うなぎ』も、人の暗部を照らし出したが、

その中で人は「性」や「生」に執着していた。

登場人物は、不器用ながらも、生きようとしていた。

翻って、この作品が提示したのは絶望だと思う。

家族という最小単位の人間関係を否定し、

人の暗部以外の感情を映し出すことを、

徹頭徹尾、拒絶した。

重要なことについて何も説明しようとしなかった。

役者は素晴らしく、その難しい要求に応えたし、

それを実現するためには、緻密な構成だった。

ただ、説明されなければ、人は不安になり、

隔絶が絶望に行き着くのは、

当たり前のことだと思うのだ。

最後に唯一、表現された感情や、

「繋がり」による顛末には怒りすら覚えた。

人のある側面を、剥き出しにし、

観客を絶望のどん底に陥れたという意味では、

この映画はかつてないほど成功し、

ある種の「芸術性」を有したのかもしれないが、

私のキャパシティの範囲内では、

積極的に知覚したいような気づきは得られなかった。

むしろ、それは知ってるよ、と思ってしまった。

ここまで怒ってしまうという意味では、

それだけ感情が揺さぶられているわけで、

ある意味「凄い映画」なのだと思うし、

制作陣は独創的なセンスで、

それをやり切ったわけです。

でも、映画の芸術性って、もっと大きくて、

もっと包容力があるものだと信じたいのです。

【レンタル】アメリカン・スナイパー 評価 レビュー 感想 ★★★★

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ハドソン川の奇跡』を見て、

見逃していたクリント・イーストウッド

この作品を思い出し、ようやく鑑賞。

イラク戦争を考える上で、

見なくてはならない映画だと思いました。

イラク戦争は、ブッシュ大統領の言動や、

テキサス州の知事を務めた経歴などから、

「カウボーイの戦争」などと呼ばれました。

主人公のカイルは、その言葉を見事に体現する人物。

元々テキサス州のカウボーイであり、

南部の典型のような父から

「羊でも、狼でもなく、番犬になれ」と

教えられます。

自分の安全や正義を、銃で守ることも叩きこまれます。

それは西部劇に出てくる「保安官」さながらであり、

ネイティブ・アメリカンを“蛮民”として排除しながら

西部を開拓していったアメリカの歴史を想起させます。

カイルは9.11でアメリカを危機に陥れた、

“蛮民を成敗”するためにイラクに向かいます。

強い信念があり、気持ちがブレないため、

狙撃手、スナイパーとしての実力を発揮。

いつしか「伝説」と呼ばれる存在になります。

ただし、武器を持たない人、

特に子供や女性を撃ちたくない、という

人間性は持ち合わせています。

そのカイルが、四回のイラク派遣を通じて、

人間性を破壊されていくのは何故なのか。

それが人と人が殺しあう戦争だからだ、

と言えば、その通りなのですが、

私は、この戦争が「終わらない戦争だった」

ことも大きいと思いました。

もし、この戦争に正義があるなら、道理があるなら、

おそらくカイルが四回も派遣されることはなかった。

なぜ犠牲者を増やすだけの

不毛な戦いが続いたのか?

なぜ「敵」は増えていくのか?

それはこの戦争自体に、道理がなかったから。

そして、戦場の兵士達には、そのことを

正確に認識する時間がなかったのだと思います。

だから、兵士達は戦場にいる時と

アメリカに戻った時の

戦争に対する認識のギャップに

心から傷付いたのではないでしょうか?

戦争が続けば続くほど敵が増える。

あれほど分かりやすかったはずの

「アメリカの正義」が少しずつ揺らいでいく。

それは、多くの「カウボーイ」たちにとって、

アイデンティティの崩壊とも言える

事態を招いたのではないでしょうか。

だからこの映画は「アメリカの正義」の終焉を

描いていると思います。

もはや帝国主義の時代にも、冷戦の時代にも、

後戻りはできないのです。

主人公のカイルは、アメリカの正義を「正しく」行い

そのために多くの人を狙撃しましたが、

その前提となる「アメリカの正義」自体が

敗北したのです。

 

なお、この映画の狙撃シーン、戦闘シーン、

ハマーの走行シーンなどは、

カットが非常に決まっていて、カッコよく見えるため、

「戦闘賛美」だという批判もあるようですが、

私はそうは思いませんでした。

よく伝わる、ハイクオリティの映像は、

あらゆる角度から人をストーリーに惹きつけます。

伝えるべきテーマを伝えるための技術であり投資です。

それを否定して、

もっと雑な映像を撮ってつなげと言うなら、

映画の進化はありません。

伝えるテーマを信じるならば、

後は堂々と、最上の手段で撮るべきです。

テーマが伝わるまで、

とことんつくればいいのだと思います。

シリア人スナイパーとの「決闘」のような描写も、

戦友の復讐を果たしたカイルが、

いよいよ戦争を続ける意義を失うことを

表現するために不可欠なシーンと見ました。

この映画は、アメリカの極上の映画技術と、

時に機能する自浄作用が生み出した

現代人が見るべき作品の一つだと

素直に思いました。

【レンタル】ちはやふる 上の句 評価 レビュー 感想 ★★★

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最近、小学校で百人一首を習い始めた

娘のリクエストで鑑賞。

恋愛を巡る曖昧な感情表現の意味を

娘に単純化して解説しながらの鑑賞でしたが、

思いの外、良い作品でした!

 

広瀬すずさん、真っ直ぐな演技させたら、

他の若い女優さんは歯が立たない存在感では

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目力が凄まじく、アップにされると

吸い込まれそうになります。

これが劇場だったらと思うと、ゾッとします。

今後、どのような成長を遂げていくのか、楽しみです。

 

映画のテーマは和歌。原作は漫画。

広瀬すずさんの和服姿と制服姿。

これぞ日本。これぞ「和」の映画だと思いました。

 

日本文化の真髄は、

限定された時間・空間における刹那の輝きにあり、

即興の美しさと儚さが

「いとをかし」なのだと思うのです。

 

字数が決められた短歌に込める思いと、

それを解く人の感受性や閃き。

浮世絵の分かりやすさとカラフルさは漫画に通じ、

漫画は限られたコマの中で絵が踊り、

吹き出しの枠内に“分かる”コメントがつく。

また、カルタ競技の中の、礼儀と姿勢。

一瞬で決まる勝負。

日本人以上に、世界の人に、魅力的に映る世界では。

 

そして、日本映画は少しコミカルなのが

本質的な魅力なのかなと思いました。

また、日本人はやはり、

平和を愛する民族なのだ!と強く感じました。

平安時代からのメッセージか⁉︎

 

下の句も見ます!

こころに剣士を 評価 レビュー 感想 ★★★★

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実話を元にした映画で、歴史的背景を知れば知るほど

感情移入できる作品だと思う。

 

映画の舞台は1950年代初頭の

エストニアソビエト社会主義共和国。

スターリンによる強制連行が横行していた時代。

第二次世界大戦における独ソ不可侵条約エストニア

ソ連の勢力圏に入れられるが、

1941年に独ソ戦が始まると、

ソビエト化を逃れ、エストニアの再独立を図る勢力が

ナチス・ドイツ側につき、

エストニアは激しい内戦状態に陥った。

 

ドイツの敗戦により、

改めてソ連の支配下に入ったエストニアで、

スターリンは、ドイツ側で戦った市民を強制連行する。

主人公の元フェンシング選手、エンデルは、

戦時中にドイツ側に立って戦ったため、逃亡。

身分を偽り、田舎町ハープサルに

教師として流れ着いたのだ。

しかし生徒たちと出会い、

フェンシングの指導をする中で、

エンデルは逃亡を続ける生き方との決別を決意する…

 

この映画が描くテーマは、

父親という存在の復権だと思う。

激しい内戦を経て、リトアニアの田舎町の

多くの生徒には、父親がいない。

エンデルは生徒と接する内に、

自ずと父親役としての責任感を感じ始め、

逃亡者の身分では、

その責任を果たせないことを悟るのだ。

 

映画では、物語ははっきり明確に進行するが、

役者の感情表現は全体的に抑制的。

その分、マルタを演じる子役、リーサ・コッペルと、

同僚の女性、カドリを演じるウルスラ・ラタセップの

感情表現が印象に残る。

 

実話をもとに淡々と進み、

骨太の感動が押し寄せるこの感覚は、最近見た映画では

ハドソン川の奇跡』に近いと感じた。

監督がインタビュー記事で、

「アメリカの古典映画の影響を強く受けた」

と答えていて、納得。

【レンタル】6才のボクが、大人になるまで。 評価 レビュー 感想 ★★★★★

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2014年 アメリカ 165分

監督 リチャード・リンクレイター

 

上映中の映画や、試写会がきっかけで興味を持ち、

レンタル視聴した映画の感想もこれから

掲載していきたいと思っていて、

その第一弾!がこの映画です。

11月上映予定の『エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎ 世界はボクらの手の中に』の

リチャード・リンクレイター監督の代表作です。

『エブリバディ・ウォンツ・サム』で監督は、

“3日間とは思えない濃密な時”を表現しましたが、

原点である『6才のボクが、大人になるまで。』は、

“あっという間に過ぎる12年間”を描いています。

長い時間を撮っても、短い時間を撮っても、

それは「今」という一瞬の積み重ねでしかない。

だからこそ、今が重要なのだ、というメッセージを

監督は発信し続けているのだと思います。

優しいし、前進し続けるけど、どこか行き当たりばったりの母親。

夢見がちな父親が、徐々に父親として成熟していく様子。

そんな親の姿を、徐々に等身大の存在として見つめるようになり、

それぞれ成長していく、姉とボク。

そんな家族の生き方を、同じキャストで、

12年間かけて撮影したこの映画には、

それぞれの人に流れている、

“かけがえのない時間”について訴える力があります。

また『エブリバディ・ウォンツ・サム』と共通するアイコン、

例えば、車での旅立ちとか、音楽とかに、

監督自身の人生のハイライトシーンが

投影されているように思えて、味わい深いです。

『6才のボクが、大人になるまで。』をまだ見ていなくて、

『エブリバディ・ウォンツ・サム』を劇場で!とお考えの方は、(そういう人は私ぐらいかもしれませんが)

やはり『6才のボクが、大人になるまで。』を見てから、

劇場に足を運ばれることをお勧めします。

逆の順番で見ても、充分堪能できましたが、

劇場での体験を重視するのであれば、

予習して、全く損はありません。

SCOOP! 評価 感想 レビュー ★★★

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期待通りに楽しめる作品。

今、週刊誌がスクープ連発で再び存在感を示す中で、

“文春に負けじ”とばかりに、

スクープで復権を目指す写真週刊誌というのが、

今っぽいし、リアル。

スクープを狙うノウハウも興味深い。

映像は切れ味があり、パリっとしてる。

ネタがネタだけに東京の「夜の顔」の切り取りが的確!

役者さんがそれぞれハマリ役で、魅力全開。

二階堂ふみさんは、今の駆け出しの

記者・編集者として本当にいそう。

それなりにいろいろ分かってしまっていて、

それ故に、いつもモヤモヤしている。

良い出会いがあると一気に成長したりする。

その感じが凄くリアル。

福山雅治さんも居そう。なりきってる!

存在感半端ない。

吉田羊さん、カッコいいし、居なくはない。

たぶん仕事できない記者には容赦ないタイプ。

リリー・フランキーさんも安定の⁉︎の怪演ぶり。

背景は謎ばかりでも、あまり疑問に感じさせない!

 

もう一声だと感じてしまう部分は、

話を転がし過ぎ。欲張り過ぎかな、という部分。

題材が良いからこそ、もっと前半〜中盤を、

じっくり見せる形にしてもらいたかった。

 

人を「撮る」ことは難しい。

ある意味「暴力」だから、迷いがあれば撮れない。

一方で、人を撮るわけだから、

人の心理には敏感でなければいけない。

それが道義的な動機であろうが、なかろうが。

その辺りで「中年パパラッチ」のリアルな哀愁に、

もっと共感したかった、と思うのは欲張りか… 

 

もちろん、その雰囲気はよく出ていて、

そんなに難しい話ではないので、

分かるといえば分かる。

実は、事情に詳しい人ほど楽しめる映画かも。 

 

「現場」のシーンの面白さや、軽妙な会話から、

際どい仕事の雰囲気を、楽しく堪能できます!

「野球ネタ」ツボでした。

聲の形 評価 レビュー 感想 ★★★★★

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先に観た方のレビューを読んでいて、

かなり期待して観に行ってしまったのですが…

上げたハードルを、余裕で越えてきました。

素晴らしい作品!すごくリアル!

アニメだから、心の動きを効果的に可視化できる。

アニメだから

リアルな辛さを見せつけられても受け入れやすい。

 

耳が聞こえない人の話かと思ったら、

耳を閉ざしてしまう人の話だった。

普遍的なテーマで、大人ならどんな人でも、

多かれ少なかれ身につまされる話だと思う。

個人的には、どこまでも自分の話だった…。

変わろうとしても、なかなか変われない所もリアル。

人はそれぞれ、考え方や、やり方が違っていて、

それは基本的には変わらない。

要はどう見るか、だけなのだ。

個性だと受け止め、その聲に耳を傾けるか、

傾けないか、だけなのだ。

耳を閉ざすと、世間は恐ろしいものに変わる。

人の心は、他人から与えられる声を栄養にして育つ。

独りでは「不安」に勝てないのだ。

 

タイトルの「聲」という漢字。

「耳」という字の上に、

「声」という字と「殳」という字が並ぶ。

「殳」の意味は「刃の無い棒状のホコ」。

「棒をもって人を殴り殺す」という意味もある。

つまり、聲の形を考えると

メッセージとしての「声」と、

人を傷つける「殳」があり、

耳で聞き分けるべきもの、という形に見える。

コミュニケーションにおいては、

良い「耳」を持ち、白や黒を聞き分けることが

最も大事な基盤であるという意味に思える。

 

円滑なコミュニケーションは、

聞き手の判断に依存する部分が大きく、

だからこそ、耳が聞こえにくい少女の存在は、

周囲の子供たちを苛立たせたのではないか。

聲に含まれる真っ白でも真っ黒でもない

ファジーな部分を、人は往々にして、

聞き手の“適切な”理解に委ねているのだ。

空気読めよ!というやつだ。

耳が聞こえにくい少女は、

耳という基盤の重要性を誰よりも思い知らされて、

自責と諦めの気持ちから、心を閉ざしてしまった。

 

「聞く耳がある」とか「聞く耳がない」とか

日常よく登場する言葉だが、

「聞く耳がある」状態を保つこと、

そして相手の心に声を届けるのは如何に大変なことか。

片方だけが努力しても、決して成り立たないのだ。

声で人を傷つけないためにも、

自分が人を信じ続けるためにも、

心を開き続け、心を鍛え続けることが如何に重要か、

この映画は語っている。

優しくて、太い、すごくよく通る形の聲で。