「戦後処理で負けた日本は、本当に負けた」
永瀬さんの言葉が、胸に突き刺さりました。
この映画は、日本社会の重大な欠点を
暴いた映画だと思いました。
第二次大戦で日本軍に捕らえられた捕虜の多くが、
悲惨な末路を辿った。
それについてイギリス人の元捕虜が、
日本を絶対許さないと怒っている。
このような話を聞くと多くの日本人は心の奥底で、
こう思うのではないでしょうか。
“戦争をしていたのだから、仕方ない”と。
“ 殺し合いをしていたのだから”と。
私はそうでした。
それは、そのまま日本政府の姿勢であり、
日本は戦時中の捕虜について、
明確な謝罪や、補償を避けてきた。
でも、平和国家として世界をリードするならば、
その姿勢は正しいのか?
膨大なODAなどを投じる体力があるなら、
謝罪も補償も、可能だったのではないか?
では、何故しなかったのか?
その答えを、この映画は分かりやすく突き付ける。
実は、日本の社会では「人の命は軽い」のだと。
戦時中の日本人にとって、敵の捕虜になることは、
生き恥だった。
国も、社会も、玉砕を推奨し、礼賛した。
だから「戦争だから仕方ない」となる。
でも、イギリスでもオーストラリアでもタイでも、
人の命は、日本ほど軽くはなかったのだ。
味方はもちろん、敵であっても。
多くの捕虜の命を奪った泰緬鉄道の建設。
生き埋めにされた人もいたと言う。
今世紀に入っても、掘り起こされ続ける捕虜の人骨。
タイの寺に積み上げられた、しゃれこうべは、
クメール・ルージュの大量虐殺と何が違うのか?
“戦争のことだから…”と言うなら、
戦後なぜ謝らないのか?
遺骨の供養までタイ任せになっている現実を、
どれほどの日本人が知っているのか?
日本の民主主義は、革命などの闘いによって
勝ち取ったものではない。
日本は西欧列強の圧力を受けて民主化し、
恐怖を原動力に、富国強兵に突き進んだ。
そんな日本の現代史において、
第二次大戦での敗戦は、国の在り方を再考し、
決めていく最大の機会でもあったはずだ。
そこで、人間の尊厳を回復させるような、
戦後処理を果たせなかったとしたら、
日本はいつ、“人権”という哲学を勝ち取り、
理念として確立できるのか。
脇目も振らず、経済建設に邁進し、
その成功が、他の全てを覆い隠した結果、
ワーカホリックな国、
自殺率が高い国になってしまったのではないか?
日本人としての立ち位置が、グラグラと
揺らぐ思いがした映画でした。