この映画を見に行く時は、誤解していました。
この映画は同じく上映中の『はじまりはヒップホップ』と同様のテーマのドキュメンタリー映画だと。
どっちが出来がいいかな。感動させてくれるかな?と…
『はじまりはヒップホップ』は、年齢などの環境のせいにせず、今を精一杯生きる、人の自己発現をテーマにしたドキュメンタリー。
こちら『ソング・オブ・ラホール』も、宣伝文句は、
「スウィングしなけりゃ“あと”がない!」
再起をかけた音楽家たち…のドキュメンタリー、
とありますから、仕方ないのですが、
見てみて、全然違うじゃん!と思いました。
こちら『ソング・オブ・ラホール』は、完全に武器としての芸術。
映像と、そして音楽の力で、あるメッセージを世界に広く伝えることを目指した映画だと思いました。
そのメッセージとは、
イスラム教徒=テロリスト ではないこと。
パキスタン=タリバン ではないこと。
これを世界の多くの人に伝えることを、
明確に目指して編集された映画だと思うのです。
そんなこと、わざわざ映画見なくても知ってるよ!と言われそうですが、これって、頭では分かっていても、
心から実感するのは、難しいことだと思うのです。
例えば次のようなシーンで、私はハッとしました。
パキスタンの音楽家たちが話をしていて、
「タリバンはイスラム教徒じゃない。狂っている。あいつらどこから来たんだ?」
と言うシーン。
日本でニュースで、パキスタンが出てくる時、やはりタリバン関係の報道が目立ちます。
でも、そのパキスタンの人たちにとっても、タリバンって、「あいつら一体どこから来たんだ?」という存在なんだと、気がつかされたのです。
そして、「インシュアラー(神の御加護を)」という言葉が、アメリカ側とのセッションの成功を願うために使われていること。
夜のニューヨークのタイムズスクエアをぶらぶら歩く時に「インシュアラー」。
この「インシュアラー(神の御加護を)」も日本でニュースで登場する時は、大抵こんな感じです。
“イスラム国は、このテロに関する声明を出していませんが、テロの実行犯は「インシュアラー(神の御加護を)と叫びながら銃を発砲していたという目撃証言もあり、イスラム原理主義者の関与が疑われます…”みたいな。
他に「インシュアラー」を聞く機会が皆無であれば、「インシュアラー」はテロを連想させる言葉ななってしまうと思うのです。
本当は、素敵な言葉なのに。
ドキュメンタリーですから、取材対象がやること、言うことを撮影していくわけですが、
どのシーン、どの言葉を使うかは、制作者の意図です。
パキスタンとアメリカのセッションの映像がふんだんに使われているのも、
制作者の意志のあらわれだと思います。
パキスタンの伝統音楽の奏者たちも、アメリカのジャズという舞台で、楽しい音のやりとりができ、
それがオシャレで、アメリカの観客を熱狂させることができる、ということです。
このことが、この映画最大のテーマ。
異教徒であっても、一人ひとりは同じ人間。
セッションできる。対話できる。
それを音楽の力で、雄弁に示した映画だと思うのです。
だから、主役の音楽家たちの背景の表現は、想像していたより淡白。ほとんどインタビューと、インサート映像です。
そんなに長期密着した感じでもないです。
でも、それでいいと思います。
伝えたいメッセージがあって、
それを体現できそうな人たちがいたから、
取材したんでしょうから。
マーケティング的に、日本で観てもらうためには、ヒューマンドキュメンタリーの謳い文句の方が良いのでしょうが、
その実は、音楽の力で、本当のパキスタンを世界に提示しようとした映画だと感じました。